月、滲む

　　－－これから、あっしがやらなければいけない大義が、彼女の笑顔と そして愛すべきこの島の住人達の善意を犠牲にする事なのだと思うと、
あっしはあっし自身の心を凍結させる必要があった。
　それ程に、この1週間はあっしにとって、楽しい日々だった。－－
　…蒼く冷たい月が湯気に煙っている…



　　　　　　　　　　　　月、滲む


　サンクルス初日
　「おーい文字郎！みんなで温泉入ろうぜ!?温せーん!!」
　太陽の様に明るいリュークさんの元気な声が響く。思い返せばアレは散々だった。

　「んにゃ？温泉でござんすか!?」
　ザクロの襲撃の後、無警戒に温泉に着いて行くあっしにダイダロスさんが声を掛ける。

　「わ…私は後でいい。文字郎殿、気を付けてな！」
　「？」

　島の男性陣とワイワイと入った温泉…。そこでようやく言葉の意味に気付く。

　「ふ…ふにゃああっ～～!?」
　絶叫した…と、…思う。
　そこにはタイさんに
　「泳ぎを教えるんだ！」と海パン姿で全力で泳ぎまくるリュークさん！、(温泉新記録・20年ぶり更新!)　
のぼせて変な汁が出てしまっているマリモンさん！、
お湯より多い量のみかんを放り込んでくるダンボールさん！、
あっしの傷口に熱湯をかけてくるおじいさん！

　「イタタタっ！あ…あっしはもう出るにゃ～！」
　(アチョオオ～～…　遠くの方で温泉の岩を割ろうとするテイオーさんの奇声が聞こえた)

　そこで1日目の記憶は途切れている。(ダイダロスさん…止めてくれれば良かったのに)



　　　　　　　2日目

　次の日は朝から、マリアさんがサンクルスの名所を案内してくれた。
　森の中ほどまで進み、空に架かる水の橋を見上げる。

　「ここから見えるウォーターアーチが一番綺麗で、運が良ければ虹も一緒に架かってるんですよ？」
　清楚な笑みを浮かべてとても嬉しそうに、一生懸命説明してくれた。
　彼女より後からやって来たあっしに、自分が島民として振る舞える事が嬉しく、張り切っているらしい。
　その楽しげな様子を見ていると　チクリ　と心が痛んだ。

　「傷…痛むんですか？お薬塗りますか!?」
　あっしの腕に触れようとするマリアさんから思わず距離をとる。情が移るのは避けたかった。

　「あ…あっしは平気でござんす！」
　「いけません！痛いからってお薬を逃げちゃ治りませんよ？」

　ぐいと手を取られて、たしなめる様に少し口を尖らせる。その可憐さに、
　（成る程リュークさんが好きなタイプだな）…などと思い、また心が揺れる。
　イザナギの事もあり、これ以上、リュークさんに試練を与えたくはなかった。

　ティターン岩、サボテン砂漠を巡り、その先々で島民達が加わり、島を一周して電車の家に帰る頃にはなぜか全員集合してしまっていた。

　全く楽しい人達だ。
　あちこち紹介されて2日目が暮れる。ふと見上げた夜空の冷たい月に博士の顔を思い出す。

　(早く目的を果たさねば)　、と胸の痛みに堪え僅かに首を振ると　チリン　と喉元で鈴が鳴り、真の主の警告を告げた。



　　　　　　　3日目

　あっしを「ネコちゃん」と呼び、とてもなついてくれているキッチェさんと将棋でお相手をする。
　ルールも大きな瞳を輝かせて
　「うんうん！」と熱心に聞いてくれ、とても可愛らしい。
　サンクルスで純粋培養されると皆こんな風に素直に育つのだろうか？

　むぎゅっ！
　「っ!?」
「ネコちゃんの尻尾って気持ちいいね？ビロードみたい！」

　「うにゃにゃ!?くすぐったいでござんすにゃ～。」
　尻尾を　ちょんちょんと振っても離してもらえず対局の間中、捕まってしまった。
　最後にわざと負けてあげると飛び上がって喜ぶので、つい甘くなる。
　次いでダイダロスさんと対局したが、こちらは長くなりそうだったので、少し手を抜いたら本気で怒られた。

　「文字郎殿！それは私に失礼だろう!?真剣勝負だ！」
　彼はやはり育ちのいい『弟君』だなと思う。
　テラでは博士からチェスに誘われたが、博士は

　「初めてにしては上出来だ。」　…と初心者レベルに合わせてくれ最後には勝ちを譲ってくれた。
　ここまでなら『いいお兄さん』なのだが、すぐに
　「わざと負けるのは普通に勝つより難しいな。」などと嫌みを言われた。
　それを考えると、ノエルさんの『子供時代』が容易に想像できる。ダイダロスさんが怒るのも仕方ないかもしれない。彼の自尊心の問題なのだ。




　　　　　　　4日目

　外で日向ぼっこをしていると、島民の皆さんが遊びに来たので

　「あっしは鯛の塩焼きが好きだにゃ～！」
とタイさんに冗談を言うとビックリして半透明さんの後ろに隠れてしまった。

　「丸見えだろ!?それっ！」
　リュークさんがツッコむと皆、一斉に笑う。
　彼の明るさは太陽の光が降り注ぐ様に皆を平等に照らす。
　(何て…居心地のいい…。今が永遠に続くなら、どんなに幸せだろう？)

　太陽の様に暖かいリュークさん、夜の月の様に冷たい博士。親しみと忠誠の間で決意が　グラリ　と揺らぐ。
　こんなに長居するはずではなかった…。



　　　　　　5日目、夜


　チリン…。

鈴の音がまるで警報のように、あっしの意識を『仮初めの居場所』から浮上させる。
　リュークさんに借りた車両の一室。
　…猫は太陽に照らされて眠り、月に起こされ爪を研ぐ…。
　テラに何の連絡も入れず5日が経つ。
　(今夜…決行しよう！)
　あっしは、未だ爆破されてはいない。普段、冷たい視線で一瞥し、甘言など決して言わない博士だが、あっしが「テラに帰る」と信じてくれているのだろう。
　これがリュークさんなら恥ずかしげもなく「信じてる」とか「仲間だ」とか言うのだろうと、思わず苦笑する。


　ガラガラっ！
　と、突然連結部分のドアが開く！

　「文字郎！お前…サイドテラに帰ろうとしてるだろ!?」
　「リュークさん？」
　リュークさんは妙にそわそわしている。

　「ト…トイレに行きたいでござんすか？」
　「違うよっ!!」
　「………」
　それから少し黙り込み、そして

　「あ～…え－と、その、もうすぐオレの誕生日なんだっ!!だからさ！それまで島にいろよ？アレックスも来るし、親父にも紹介したいし…あ、紹介っつっても変な意味でじゃね～ぞ!?」

　「分かってますよ。」
　「オメェ、様子がおかしいから、こっそり帰ろうとしてんのバレバレだぞ!?」
　バツが悪そうにチラリとあっしを見る。

　「コレ、当日出演決定な。」　(リューク英雄伝と書かれた台本を渡される。)

　「ボス命令？」訊くと月明かりが霞む程の太陽の輝きを放ち
　「ボス命令！」悪戯っぽくニヤリと笑った。



　　　　　　6日目

　今日は皆、朝から「リューク英雄伝」の練習に(迷惑顔で)励んでいた。ここまで、敢えて触れなかったが初日から事あるごとにテイオーさんがリュークさんにアタックし、その都度、空の果てまで吹き飛ばされていた事を付け加える。(およそ50回！)



　「ハァー…」
　初日の反省から深夜、独り温泉に浸かり、考える。

　(結局、リュークさんに押し切られる形で明日まで滞在する事になってしまった。)

　パシャ…
　彼等に取り入る為に自ら付けた腕の傷が、軽い跡を残している。

　「明日は…出来るだけ酷いやり方で裏切ろう…」
　－－情をかけず、顔色もかえず－－
　例えどんな理由や大義があったとしても、マリアさんを犠牲にし、リュークさん達を傷つける事に変わりはないのだから。
　「言い訳はせず、憎んで貰えばいい…。そして彼等の怒りのはけ口に…!博士が何も語らずそうしているように！」(その罪も、罰も、苦しみも、一緒に背負うと決めたのだから！)

　太陽に似たリュークさんの様に明るく皆を照らす光ではない…。

　あっしは高く、高く…暗い空を見上げた。

　上空の月に似た博士はただ静かに、厳しく、孤高の光を湛える人。

　－－時に冷酷なる判断を下し、断罪を受ける覚悟を持った冷たい光。
゛今゛を変えられる唯一の…。－－

　あっしはその光に向かって誓う。





「明日、貴方のために太陽を裏切りましょう！」